古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

111 #虎にゃあにゃあ


あるお金持ちがなくなり、遺族はお葬式の為にお寺に連絡した。
やって来た僧侶は早速式の準備やら手続きやらを始めたが、途中で戒名の話になった。僧侶は三つの戒名を示し、それぞれ90万、60万、30万円だ、とお布施の額を提示した。
遺族たちは実利主義者だったので、素直に聞いた。「この戒名の値段は、何が違いますのん?」
僧侶は口の端を歪め、当然のように言い放った。「そりゃああんた、功徳が、違いますな」
功徳とは、神仏の恵み、と言う意味である。

これに対し遺族が、「変わるのはアンタらの夕飯のランクちゃうか?」と返したかどうかは、定かではない。私なら言いかねない。

我々小市民は、心が穢れているゆえ、とかく宗教団体を胡散臭いものと捉えがちである。お布施の裏で沢山の僧侶が、死後の魂の浄化のため、祈りを捧げている事を素直に信じることができない。
そこで、このような妖怪が産み落とされる事になる。

珍妙な名前「虎にゃあにゃあ」は、立派な虎のように見えても実はただの猫、と言うわりと直接的な侮辱だけでなく、当時民衆が広く信仰していた、または檀家に入らされていた、曹洞宗の僧侶もよく誦していた「陀羅尼(だらに)」の冒頭の、「ナムカラタンノウ、トラヤーヤー」の駄洒落にもなっており、故にこの妖怪が、僧侶を小馬鹿にしたものであることも判る趣向になっている。

最近は、宗教団体もまるで企業のように振る舞うようになった。立派な伽藍もお金がなくては立ち行かない。相手の気持ちを頂くのみを旨とする筈が、サービスに対する料金体型を打ち出し、物販も行い、ゆるキャラまで作る。伝統の守護者と言う呪いから逃れられず、今日も顧客ににゃあにゃあし、かと思えば難しい話で煙に巻き、最後に金も巻き上げる餓鬼のような妖怪であろうと、私は見顕した。

顔(お面ですが)が、ペニーワイズ風になりました。遊び過ぎたかもしれません。あと、世の中には、そうではない立派なお寺、真面目なお坊様、沢山いらっしゃいます。誤解されませんように。