古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

番外編 #具乱怒物乃怪 ぐらんどもののけ


大昔からペン画も描いている。むしろこちらの方が現在は市民権を得ている。

とんでもない妖怪を「創作」してしまった人が居る。その人の事は置いておいて、とんでもない妖怪の方を話そう。
まず名前からしてスゴい。伝説っぽくしようとか、日本の風土を感じさせようなどと言う思考が微塵も感じられない。日本の妖怪のなかに、「グランド」と言う横文字が、しかも暴走族さながらの漢字変換で入ってくるとは。
次にデザイン、「詰めりゃあ良いってモンじゃないだろう」感に満ち溢れた、頭の数。フォアグラにキャビアとトリュフを撒き散らしたような、お腹一杯のデザイン。何故か下駄を穿く足になっている右手、秩序も節操もない。日本妖怪のスピリッツを愛するファンなら、見た瞬間に拒絶しそうな姿である。
しかし、じわじわ話題になりつつある。
不思議である。
だがそんなものなのかもしれない。
正統な妖怪など、実は居ない。
様々な原典をあさり、最古のルーツを見つけ、知っているのいないの、そんな事でマウントをとるなど、妖怪に関しては無意味だ。と、私は考える。
妖怪は死んだ文化ではない。
今も生きて、変化をし続けている。
ある設定を皆が認め、納得すれば、それがその妖怪の「今」だ。
ぬらりひょんは妖怪の総大将、それで良い。
豆腐を食べたら黴生えた、それで良い。
滝夜叉姫はがしゃどくろを操れば良い。
そういう遊びだ。マニア同士の喧嘩も含めて。

だから、具乱怒物乃怪、面白がる人が居るなら、間違いなく今を生きる妖怪となる。
面白いから、勝手に設定を増やす。
以下は私の妄想だ。
稲生物乃怪録に登場する、山本五郎左衛門、あれは固有名詞である。石川悪四郎という類似?の怪異もある。ああいう、千変万化の怪異の総元締め的な存在は、固有名詞は持つが、ひと括りにできる普通名詞は持たなかった。
じつは、あったのだ。
それが具乱怒物乃怪なのだ。
皆様が納得すれば、新しい伝承が世に定着する。
どうなることか。
あの姿がそれを証明している。