古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

171 #一つ目小僧とみかり婆さん

私は神奈川県に住んでいるが、この県は一つ目小僧の伝承の多い県であるらしい。

12月や2月の8日に川の向こう側や山から現れ、村の家々を訪ねてまわる。良くないものを運んでくることが多いので、村では「目籠」を掲げて追い払う。「目籠」とは目を荒く編んだ籠で、「目の数が多いから」一つ目小僧は退散すると言う。目の形は六芒星になり、西洋でも魔除けに使うから、何か通じるものを感じる。日本ではこの模様をを「籠目紋様」という。

神奈川県各地に、ちょっとずつ違う内容の伝承が残っている。ある地域では一つ目小僧は帳面を持っていて、ここに名前を書かれると良くないことが起こるなど言われる。

みかり婆さんは、単独で現れる場合もあるが、大概は一つ目小僧と連れだって現れる。こちらは団子を戸口に刺しておくと去っていく。

 日本人の、  来訪者に対する心情が良く表れている。基本的には関わりたくない。もてなす場合もあるが(これは外の者が新しい何かを村に与えてくれることを期待しての対応であり)、引き留めはしない。通り過ぎてもらう。それが村と言う孤立した社会を、運営していく人々の知恵であり、経験でもあったのだろう。

「たくさんの目を嫌う」ので、服の柄に目を連想するような「格子」の類いは避けた。縞模様を基調にしている。

「籠目紋様」を、装飾に描いた。目籠を描くのはやめにした。絵が図鑑みたいに、説明的になりすぎてしまう。

170 #黒髪切り

元禄時代の伊勢や江戸では、夜道を歩く人が男女の別なく髪を切られる怪異が多発した。本人に襲われた自覚はなく、切られた髪は道に落ちていたといい、これを「髪切り」または「黒髪切り」と言った。
ちなみに、日本で初めて理髪店、つまり「髪結床」が誕生したのは慶長年間(1596年〜1614年)だったそうである。
その後1810年にも「髪切り」の記録があり、商店や屋敷の召使いの女性が被害に遭った。
ちなみに、それに先立つ1805年、世界最古の理髪店とされている「トゥルフィット&ヒル」が、イギリスにて創業されている。その技術は貿易船を通じて世界に広まっていったと思われる。
さらに時代が進み、明治初期の1868年、江戸にてある女中が「まっくろなるもの」に髻(もとどり=髪を頭の上や後頭部に集めて一束に縛った部分)を切り落とされる。同時期、厠に行く途中の侍が「真黒なる者」に襲われ、切り落とされた髪は髷(まげ)のまま落ちていた。いずれも夜の事件だった。その後も1874年に東京の女性が髪切りの被害に遭い新聞でも報じられた。
ちなみに、当時は横浜開港にともない、居留地では外国人の理髪技術の需要が高まり、1869年頃、小倉虎吉が外国船の乗員から学んだ技術で、日本初の西洋理容店「柴垣理容院」を開業した。最初は髪結床だったが、1871年断髪令に合わせて西洋散髪を始めた。

どうも、日本の「髪切り事件」は、散髪技術の普及と微妙にシンクロしている。気付かれないうちに髪を根本から切り落とす行為には、鋭利な刃物の存在を感じさせる。切り落としたものを地面に置いたままにするのだから、食べてはいない。…切ること自体が目的なのだ。妖怪に限らないが、事件や事故の根本に「暴走する技術」が存在する事がある。それが犯罪と結び付いたとき、一部のケースは妖怪の仕業とされる。
そんなイメージで描いた。

もちろんこれは想像で、良心的な(命を狙わないと言う点で)辻斬りが犯人だった可能性もある。または、時代の流れに押され、髪型を変えた人々の、体裁を繕う方便だったかもしれない。

羊の姿に関しては…西洋の床屋はバーバーで羊は西洋では鳴きかたが「バーバー」で、毛も刈られるから親近感があるなあと、良く考えもせず描いた。
黒魔術とは何の関係もない。似ている気もするが。

 

169 #さがり

岡山県や熊本県などの西日本で、木から馬の首が下がってくる怪異。 胴体はない。馬の頭部だけがぶらさがる。
主に古い榎や柿の木にぶら下がり、夜道を歩く人を驚かせる。「馬捨て山に捨てられた馬の霊が化けたものと言われている」とAIが言った。知らなかった。姥捨て山ならぬ馬捨て山があるのか? 日本のどこに、山に捨てるほどの馬がいたのだろう? いまひとつ信用できない。

大した悪さはしない。不気味な鳴き声を上げたり、ぶら下がって通行人を驚かせたりするだけの怪異である。夜中なら馬かどうかも判らないような気がする。

子供の頃の妖怪図鑑は、良くも悪くも私に大きな影響を与えた。曰く、「昔、馬と蛸と人間が争い、そのまま死んでしまって誕生」したとの事だ。…真に受けてしまった。どうやったら馬と蛸と人間が同じ立場で喧嘩できるのか、疑問すら抱かなかった。あの頃の私には、妖怪図鑑はバイブルだったのだ。今にして思えば、「死んでしまって誕生」がも無茶苦茶だ。コケカキイキイでもあるまいに。

蛸のような馬のようなさがりを描いた。ヒトは省略した。蛇足である。

168 #江ノ島妙音「裸」弁財天

毎年かならず江ノ島には初詣に行っている。

江ノ島の神社は弁財天とか竜神とかを祀っている。中でも異色と私が感じるのが、この「妙音弁財天」だ。以下は江ノ島神社のホームページより。

「裸弁財天」ともいわれ、琵琶を抱えた全裸体の座像です。女性の象徴をすべて備えられた大変珍しい御姿で、鎌倉時代中期以降の傑作とされています。音楽芸能の上達を願う多くの人々より信仰を集めています。

…と言うものが、祀られていて、年始には開帳されている。毎年見に行くと言う事もなく、3年に一度くらいは見に行く。

しかし見るたびに気になってしまう。

神様が肉体を持ってしまったら、半ば妖怪のようなものだ。猿神、天の邪鬼、一目連、美輪明宏など、妖怪と神様の境界は、日本では非常にうすい。

いくら弁天様だからといって、裸で現れるなら、これは面妖だ。しかもその姿のまま信仰の対象となるならば、これはおしら様同様、妖怪の列に加えてしまっても違和感はない。これはもちろん私個人の感想だが。ゴディバ婦人まで妖怪だと言い出すつもりもない。

穿った見方をしてしまうなら、古来より芸能活動には「そういう側面」が、暗黙の了解として有ったのかな。非常に人間臭さを感じる神様だ。

前から絵にしたいと思っていた。

江ノ島の竜神が惚れてしまうと言う伝説もあるので、龍を合わせた。本来は頭が五つ有る龍だが、絵が煩くなるので二個で止めている。今後増やすかもしれない。

オリジナルの像も着彩が施してあり、これは大体忠実に描いた。顔は…まあ、自分の思う弁天顔になおした。オリジナルの出来にネガティブな意見があるわけではない。あれはあれで完成度の高い顔だ。しかし、

悟りを開けない私がここにいる。

 

167 #狂骨

鳥山石燕が描いた妖怪。

様々な人々の想像を刺激し、様々に語られている。AI曰く、(最近は検索するとすぐコレが出てくる)

日本の江戸時代に鳥山石燕が描いた妖怪。井戸の中に捨てられた白骨が恨みを持って変化した存在として『今昔百鬼拾遺』に登場。井戸は冥界への入り口とも関連付けられ、その「甚だしい恨み」が「きょうこつ」(=江戸言葉で「甚だしい」の意味)という名前の由来だ。

石燕自身は、軽い言葉遊びで創作したのかもしれない。

子供の頃に読んだ本では、井戸から出て来て躍り狂い、見たものは発狂する、という、まるでラグクラウトのような説明が追加されていたが、定着はしなかった。死者の骨が踊るのは、溝出という別の妖怪にも似ていて、面白い。

井戸に骸骨が沈んでいる事態には、「狂骨が現れる」以上の衝撃がある。即ち、「気が付くまではその井戸水を飲んでいた」と言う気付きだ。「見て驚き、知って戦慄する」と言う二段構えの衝撃である。「水源の死体」と言うモチーフは、ホラー作品のプロットにも良く使われる。

そうなると…。現在の狂骨は、井戸からは出ないかもしれない。寧ろ、集合住宅の屋上にある、貯水タンクはどうだろうか。最近もニュースでやっていた。一月ほど入っていたらしいとか。

そんなのを描いた。

 

166 #青行灯

百物語が終わると登場する怪異全般。百物語の説明は不要かと思うが、その演出(?)の一つに、行灯に青い紙を貼る、と言うものがあり、そこからのネーミングであるらしい。

「青行灯」は百物語後の怪異全般を指すようなので、別に鬼女でなくても良い様子だが、石燕は鬼女の姿を描いている。まあ、鬼女も出るかもしれないよ、ぐらいなものだろう。

百話も妖怪幽霊の話を聞いたら、頭の中の妖怪アンテナが感度をあげ、そういうモノを感じ取りやすくなってしまうので、今まで意識されなかった怪異が意識されるようになる=視えてくる、そのような仕組みなのではないか、と思う。

こんな話がある。百物語をしたが何も起きなかった。しかし、後日録音テープを聞いてみると、最後の百話目は、参加者の誰でもない声で「俺が死んだときの話をするよ…」という始まりで…それ以上は聞かずに神社に持って行ったらしい。

百、は「話」には限らない。「怪異体験」であればやはり同様の効果が期待できる。妖怪の絵ばかり百枚見るのでも良い筈だ。

なら百枚目に描いたらたいいじゃん、と思われても仕方がないが、思い付いた時が描き時である。私が明日、車にはねられるかも知れないし。あまり心残りを作ると、私が行灯の後に立つ幽霊に成りかねない。たぶんもう二百話くらいは喋り続ける筈だ。

百物語は夏の遊び。蝶々を描いて、「飛んで火に入る夏の虫」と洒落た。まあ、妖怪から見れば向こうから見に来る訳だから。

165 #文車妖妃(ふぐるまようび)

私はたぶん高校生の時、「水木しげるの妖怪文庫」で初めて見た。

インパクトのある名前と見た目と、二次創作しやすい設定で(あと女怪でもあるから)様々なアレンジで描かれている。

日本に固有の文字が誕生したのは平安時代。以来日本人はなんでも文字にし、大量の文字情報を保管してきた。しっかり保管したいものは「文庫」という保管庫にしまったが、使用頻度の高い普段使いの書簡は、「文車」に入れてあちこち持ち歩いたらしい。サラリーマンのデスクと同じで文車はすぐ一杯になるので、徒然草の「多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵」の有名な一節が誕生する。

そんな文車も、武士の世になると姿を消してしまう。貴族の世では生きるために必要不可欠であった学問や風流も、過去のモノとなった。

しかし、文字は死ぬことはなかった。時代に合わせて言葉は産み出され続け、書物とならり、文庫などに保管され続けていった。

現在、本離れが進んでいるという。街からは、大型書店やCDショップが次々姿を消している。私は時代が古いので、本と言う物体に拘ってしまうが、若い世代はそうでもないらしい。あるいは、読んでいる内容が、本とするに足らない読み物が増えたのかもしれない。ネット場にはそんな言葉の塊が、今日も増え続けている。

インターネットは、現代の「文車」だ。そんな電脳世界に再結晶された文車妖妃を描いた。基本的なフォルムは石燕にならい、装飾は廃し、紙に文字が印刷されていないことを顕した。葛籠も電脳空間をイメージした。

実は石燕の絵には、文車が描かれていない。本当は背の低い牛車のような形をしている。恐らく、化政文化の頃の江戸の住人には、文車の姿形を知ることは出来なかったのではないか。私も、絵に残っているものは見たことがない。

葛籠を文車にすると改変が大きいので、せめて車輪を描き足した。

164 #塵塚怪王(ちりづかかいおう)

鳥山石燕が、付喪神絵巻物に登場する鬼に着想を得、創作したんじゃないかと思われる。平たく言うとゴミの王様、と言う妖怪。

石燕の「百鬼徒然袋」と言う本に紹介されているが、この本は名が示す通り、吉田兼好の「徒然草」の文章を題材にした創作妖怪が多数描かれる。その多くは器物の妖怪、今で言うところの「付喪神」である。
石燕の解説によると、塵が積もって出来上がる山姥の長、だと言う。
まさかの女王である。ご高齢ではあるが。そしてとてもそうとは思われない、容赦ない描かれ方をして居るが。
それにしても、塵の山姥とはなんなんだろう。山はやまでも塵の山。どんなに積もってもたかが知れている。

しかし現在では、そんなことはない。

昔はモノを大切に扱った。あるモノが使い古され、塵塚行きになるには永い年月を要した。

現在はそのペースが、非常に早い。

しかも、同じ時間単位で、廃棄されるモノの量が多い。格段に多い。

種類も爆発的に増えた。不要になったら、カミサマさえも処分の対象となる。オワコンなんて言葉も生まれた。それもやがて死語になり、別の言葉に取って変わられるだろう。

行きすぎかけの資本主義。モノへのリスペクトは弱く、新しくなくなれば棄てられる。ゴミの発生は必然的で、宿命ですらある。塵塚怪王の発生も早いし、力も強い。

絵は、廃棄物の王様をイメージした。わかい頃を懐かしみながら、アニメやドラマなどの文化なども含め、過去のモノとなったコンテンツを盛り込んだ。

はだの色は「塵菊」を意識した。

石燕の絵を下敷きにしていることは、辛うじて判る。

情報量の多い絵である。

163 #魍魎 (もうりょう)

単純に「妖怪の一種」と捉えてはいけないかもしれない、その割には認知度の高い妖怪。 

かつては妖怪全般を指す言葉だったらしい。

かと思えば、水の妖怪の総称だったこともあったらしく、「みずは」とも呼ばれる。因みに陸の妖怪の総称を魑魅と言い、故に併せて「魑魅魍魎」なのであるらしい。

思想そのものは大陸由来なのかもしれない。

鬼より古い存在と言うことか。

中国の書物に曰く、「魍魎」とは、

死体の胆を食べるらしく、火車との関連も指摘されている。水の怪であるなら、河童ともにている気がするが。

姿に関しては、きれいな黒髪で、三、四歳の子供の大きさで、全身が赤黒いとか、目が赤いとか言われる。

こうなるともう、妖怪の総称ではあり得ない。「そういう魍魎もいた」と言う話だったのかもしれないが、今、魍魎は一人歩きを始めている。

お馴染み石燕の画を元にして描いた。

秋なので、ヒガンバナなど配置した。

遺体は、穴から引き出すか、水から引き揚げるか、かなり迷った。

モウの音は「毛」にも通じる。髪の毛もそうだが、植物を指すこともある。

「毛霊」としての「魍魎」を想像する。

死体を食すると言うことは、分解すると言うことだ。植物の自然の営みである。

自然界には分解者という生物群があり、生物の遺骸を土に戻すわけだが、そんな「働き」を形にしたものが、魍魎なのかもしれない。

つまり魍魎とは自然の浄化作用のことなのである。

162 #網剪 (あみきり)

鳥山石燕が描いた妖怪。説明は付いていない。

非常に良く似た妖怪に「髪切り」が居て、石燕はそれをアレンジしたのだと言われている。「髪切り」には脚が生えているのに対し、あみきりは下半身は海老のように描かれる。石燕が、網とアミ(小さな甲殻類)をかけてデザインしたのだと、考察されている。

問題はここからだ。

石燕のあみきりは人家の庭を飛んでいるようなのだが、絵で見る限り「何も切り落としていない」ようなのだ。蚊帳を切るのだ、洗濯物を切るのだ、実際は海に居て、名前のとおり網を切って魚を逃がすのだ。云々。様々な憶測が飛んでいる。

石燕の絵には、三つの品が描いてある。切子灯籠、枕、うちわ…。お盆の昼過ぎか。

枕が家のしきりの上に意図的に置いてあるので、夢の世界や、異界との結界を切る、と解釈した人もいた。面白い。まあ妖怪だから何が正しいとかはないのだろうが。

私は、網剪は、「忙しさを作る妖怪ではないか」と妄想する。忙しさを表現する韓国の言い回しに「目や鼻を開ける間もない」と言うのがあり、ここで使う「目」「鼻」というのは人の目ではなく「魚をつかむ時の「網」のことらしい。網が破れたときに忙しくて手入れが出来ないという意味があるそうな。

向こうには、網切、と言う名字もあるようだ。

お盆は忙しく、昼寝している暇もない。だから石燕の絵には、人物は描かれていないのだ。

そんな中、現れる妖怪なのだろう。

色について。皆が赤く描くから、シャコか生海老みたいに描いた。赤いのは茹でた色だから、あまりにも安易な色だと感じる。だから透明に近い感じで描いたのだが、むしろスカイフィッシュみたいになってしまった。

石燕の絵の中では、被害に逢いそうなのは盆灯籠(切子灯籠)だけだったので切らせた。