古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

#051 二本足

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二本足

 名前の通りの姿。頭が余計だが。私の勝手な持論だが「名前のままの姿に描かれた妖怪は言葉が先にある」と思っている。「名前と姿に直接的なつながりがない妖怪には伝承がある」とも思う。だからこの妖怪も、すべての解釈は「二本足」という名前にありそうだ。
 「江戸」「二本足」で検索をかけると、ほどなく出てくるのは「芸者の襟足の名称」である。襟足が真ん中と左右、合計三つに分かれている(ように白粉を塗る)ものを、上方では「三本足」と言い江戸では股の数で数えて、「二本足」という。二本足は実は襟足の形の比喩だ。だから頭が必要で、頭から出ている脚それは「襟足」に他ならない。今はただの予感だが、この『百鬼夜行絵巻』という巻物、遊郭に絡んだ妖怪が比較的多いのではないだろうか。

 以下品の無い想像となるが、もともと妖怪はそんな世界だ。ナンセンスは江戸の創作妖怪の本質と思う。

 「二本足」は実は「三本足」だ。だから「三本目の足」をふんどしで隠している。顔だって女性ではなく親爺顔である。草鞋を履いていないから、屋内にいるのだ。ちなみに「二本足の襟足」のことを「坊主」ともいう。また、客が取れずにお茶ばかり引いている状態の遊女のことも「坊主」というんだとか。妖怪二本足の頭が坊主である理由が見つかった。

 江戸初の遊郭が吉原にできたのは1660年手前である。以降、江戸最大の繁華街としての地位を保ち続けた。移転して浅草に映るまでは今の日本橋あたりにあったそうだ。「二本足」は「日本橋」の駄洒落になっているのかもしれない。

 日本橋の近くには江戸で最もにぎわった築地の魚河岸もあった。「足のはやいもの」つながりで背中の青い魚を描いた。お足は飛ぶように姿を消すから、トビウオにした。遊郭を暗示するものは描かなかった。

 図:尾田郷澄作『百鬼夜行絵巻』より