座頭の姿をしているが、その両手に目がついている偽物の盲人の妖怪。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』でもほとんど同じ姿で「手目(てのめ)」と紹介されている。最近の研究本が軒並み指摘している通り「手目」とは賭博の世界でいう「いかさま」のことで、「坊主になる」は「一文無しになる」ことだから「いかさまがばれて一文無しになる」ことを意味する、という解釈が非常に妥当で恐らくそのような意味で描かれた妖怪なのだと私も思う。
現在なら「障碍者のふりをして社会福祉をむさぼる」ような類の「いかさま」をする不心得者を糾弾する妖怪なのかもしれない。
今でも目隠しをしてトランプの模様を当てるようなイカサマならできそうだ。見えないふりをしてなんでも見えている状態は確かに不気味だ。妖怪的ですらある。生み出した人物の意図を無視して考えれば、ご飯を食べないと言っていて、実は後頭部の口から食べていたという「食わず女房」と同種の怪異とも見て取れる。
面白いことに気が付いた。もしこのような妖怪がいたとすると弱点が興味深い。彼には実は目があるので、「夜が苦手」である。盲人ではないので、暗闇の中では常人と同じようにしかふるまえない。耳が良くもないので、結局常人と同等の能力しか持たない。眼の位置が違う以外に、何の怪しさも持たない妖怪なのだ。
図:尾田郷澄作『百鬼夜行絵巻』より