主に瀬戸内~九州地方でいうところの犬神と、妖怪絵巻などに描かれる犬神が、同じ妖怪とは思えない。四国九州のほうは「イヌガミ」とは名ばかりで、その姿も生態も殆ど犬を連想させない。強いて言えば「家に飼われている神様」といったところか。
妖怪絵巻のほうの犬神は、顔は犬そのままだが僧衣をまとい、少なくとも人の使役を受けているようには見えない。どちらかというと、人と獣の立場の逆転を表しているようにも見える。何かというと引き合いに出してしまうが、鳥山石燕の画図百鬼夜行では神主の装いで、頭の悪そうな人間の子供の姿の妖怪「しらちご」を従えている。これは後ほど犬の妖怪として登場させるので、その時に解説しようと思う。
因みに、犬神を代表するいわゆる「憑き物」の伝承は、西洋の魔術に通じるものもある。あちらにも「使い魔」の概念がある。ひょっとしたら、安土桃山時代に南蛮からキリスト教と共に渡ってきたのかもしれない。これは史料を無視した想像だが。この絵の犬が何処と無く黒魔術の山羊に見えるのも、そんな事を考えながら描いたからかも知れない。
犬神の伝承は興味深い。ほかにも、スイカズラ、トウビョウ、オサキなど、名前は違うが本質のよく似た伝承がある。家に取り付き、家人の欲求に反応し、求めるモノを取り寄せる。家人の意志とは無関係に、モノを集めてくる場合もある。その結果、家は栄えるが、周囲からは距離を置かれる。縁談や就職などに大きな障りがある。
細かい説明は省くが、江戸時代の被差別階級をなんとなく連想する話であるから、何か関係があったのではないかと思う。例えば、江戸から見れば田舎の山陰地方の伝承が、不完全な形で江戸まで伝わり、その結果、このような姿で描かれたのではないかと思っている。
図:佐脇嵩之『百怪図鑑』より