古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

#087 王魔 おうま

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王魔

 「魔王」ではなく「王魔」である。国語の修飾語のルールで考えると、「魔王」なら「魔、つまり魔物や魔人やそういったものを支配する王=役職」であるのに対し、「王魔」は「王となるべき力や格を身にまとった魔物=真の力量」と言う事であろうか。どちらにしろ、壮大な風格を持った妖怪だ。いったい何をする妖怪なのか。

 絵は、名前には程遠く、ファー〇ーの様で、かわいい。カールした頭髪、フクロウのような顔、角、蓑のようなものに覆われた体、背中に背負った羽根または蜘蛛の巣、本体から距離があるかのように、少し離して描かれた両手には赤くて長い爪を持っている。姿から性格を推測することは難しそうだと感じる。もちろん伝説があるわけでもない。アニメのように、どこかにある宮殿の奥まった広間にいて、仰々しい王座に腰かけて過ごしていたりするのだろうか。いや王魔であって魔王ではないから、強大な力を内に秘めたまま、あちこちを彷徨っているのだろうか。

    「ファンタジー」という世界体系がある。子供時代に「ドラゴンクエスト」の登場を見た私の世代にはおなじみの世だが、最後に控える敵は「魔王」であることが多い。思えば「魔王」ほど都合のいい敵役もなく、魔界から攻めてきた彼はこの世界から見て全くの異物、平和な世界に突然現れるのだから完全に滅んでしまっても何のしがらみも残らない。これは退治する側にとって大変に都合のいい存在ではないか。王魔もまた、そのような宿命を持っているのかも知れないが、江戸時代にすでに「魔王」を考えた日本人がいたのかと考えると、オーパーツでも見たような気分になってしまう。

 初期のコンピューターゲームでは「大きなボス」を演出するために(昔はデータの処理速度が量が非常に遅かったから画面いっぱいのキャラクターを動かすとなると時間がかかるのでそれを防ぐため)本体は背景として処理し(動かない)、手前の両手だけが「キャラクター」として動くようなゲーム画面をよく見た。そんなことを思い出し、ゲームのボスデザインの要素を加えた。だからますます日本の妖怪とは思えない雰囲気になってしまった。

 図:大屋書房『百妖図』より