古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

123 #おりたたみ入道

水木しげる氏が、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に登場させた妖怪。氏の創作であると言われている。しかし実際、誰かの創作ではない妖怪は少ない。下手をしたら全ての妖怪は人に名付けられた時から誕生した、と言う点では、創作と言える。ライオン等のように、人が名付ける前から「それは居た」と、言える妖怪はどのくらい居るだろう?

かつて、鳥山石燕と言う画家は、自らの著作で沢山の妖怪を創作した。民俗学の見地からは伝承とは分けて考えるべきだろうが、妖怪を哲学として捉えるなら、それらは今では立派に妖怪として認識されている。毎年のように新たに出版される妖怪図鑑にも、普通に収録されている。

妖怪は、誰が産み出したかはあまり重要ではない。時代が受け入れたかどうかが、重要なのだと思う。

前の水木氏は、多くの妖怪を初めて描くことによって、姿を与えたとされ、評価されている。であれば、姿しかない妖怪に「物語」を与えることも、許されるべきではないか。いや既に許されているのだ。ぬらりひょんやおとろしなど。アマビエに至っては、歴史が改編までされかかっている。しかし、噂が事実を凌駕してしまう事も今に始まったことではない。そもそも「当時の文献」がどのくらい正しいのかだって判らない。

おりたたみ入道を、勝手に伝説にしてみよう。

よく伝わる話は大体こんなものだ。

巨大な僧形のものが、家の奥の土蔵にすうっと消えていくのだ。追って中に入っても誰もいない。よく見ると、小さなつづらがある、まさかとは思ったが、試しに開けてみると、折り畳まれた坊主が入っていて、ニヤリと笑った。

平安時代藤原氏の策略で失脚し、生きながら屈葬にされた、僧の化けたものだと言う。

折り紙で作った良寛さんに命が宿って動き出したと言う江戸時代の話もある。毬に見立てた紙風船を撞いている。やはり土蔵に逃げ込み、つづらの中で発見される。この場合は紙風船も折り畳まれて入っているという。

なんて話は今私が考えたが、心有る(?)かたが広めてくだされば、またはもっとふさわしい物語を産み出して頂ければ幸いである。