古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

#043 撫坐頭 なでざとう

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撫坐頭

 坐等(=座頭)とは、江戸時代の盲人の階級の一つ。もっと広義に、按摩、鍼師、琵琶法師などを呼ぶことも多い。元々は琵琶法師の称号「検校」「別当」「座頭」の一つであった。鎌倉時代から琵琶法師たちは「当道座」という共同体を形成し、活動をした。後の「座」、今でいう「農協」のようなものだ。江戸期に入ると当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。この頃には琵琶法師としてではなく三味線、箏曲などの演奏や鍼灸、按摩が主な仕事になっていた。元禄時代には高利貸しなるものもあらわれたらしい。当道座に対する保護は明治元年に廃止された。

 目というものは生物の中でも非常に重要な器官であるらしく、生物同士が出会うと、まずはお互いの目を確認しあう。人間にもその感覚は残っていて、目を合わせないまたは合わせることができない相手に対して警戒心を取り去るには少し時間がかかる。そういう感覚があってか江戸時代には「〇〇座頭」という妖怪が少なからずいる。

 この妖怪は恐らく按摩なのだろう。力を込めてもんでほしいところを撫でるようにもむ。と言うか揉まずに撫でる。だから気持ちが悪い。かといって声をかけるのもはばかられる。お金を払って座頭が帰って、何だ今のは、となる。

 僧も盲人も当時の一般人から見れば「異形」に近いものだったのだろうか。もちろん表立ってそんなことは言えないから、そこで妖怪が登場する。言えない本音を代弁しているのだろうか。

  最後に絵解きを。

 めくらに提灯…不要なもの。それを逆手に取った小話がある。

 盲蛇に怖じず(めくら、へびにおじず)…ある物事を知らないものはその物の恐ろしさもわからない。無知ゆえの向こう見ずな態度。

 メクラブドウ…野ブドウの東北地方の方言。実の様子が、視覚障碍者の目のようだから。ちょっと差別色の濃いネーミング。

 図:尾田郷澄作『百鬼夜行絵巻』より