古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

#100 ほら貝

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ほら貝

  法螺貝は「出世法螺」と言って、海に千年、川に千年、山に千年棲み、大蛇になってからを抜け出すともいわれる。和歌山県の白浜に伝説が残る。

 大げさに言い立てられた作り話のことを「ほら話」というのは、以上の伝説から来ている。「ほら」が意外な出世をする事、さらに「法螺貝を吹く」という行動からの連想で、大げさな嘘をつくという意味で「法螺を吹く」という言い方が誕生した。

 「千三つ」ということわざは、千のうち本当の事は三つしかないという意味で、嘘つきと同じ意味で使われるが、ひょっとしたら「海に千年、川に千年、山に千年」の伝説が発想のもとになっているのかもしれない。

 日本人が作り出した「妖怪」という文化の体系は、江戸期に至り、「ほら話の体系」へと姿を変えていったように思われる。文明が進み、自然はある程度には克服され「どうやら、どんなに不思議に見える物事にも理屈に通った理由があるらしいぞ」という感覚を人々が持ち、本来なら迷信の類は廃れるところだが、そうはならなかった。逆に妖怪たちはどんどん増えだしたのである。正当性があろうがなかろうが、妖怪たちはどんどん「生み出されて」いった。過去の妖怪が消えることも無かった。そうして江戸の末期ごろには、妖怪画のみを載せた絵巻物が登場した。

 「嘘も百回繰り返せば、真実になる」と言ったのは、ヒトラーだったかゲッペルスだったか。その発想を最も害の無い形で実践したのが日本人たちだったかもしれない。「あそこの森には鬼が出るから行っちゃダメ」「ご飯を残すと成仏できない」我々は子供時代から害の無いうそに囲まれて育った。科学的思考を持つに至っても、その感覚が我々を「道徳的」に保ってくれていると思う。

   図:江戸時代『化物歌合せ』より


 私もここに百の法螺を描き終えたし、語りつくした。今回の宴はいったんお開きにしたいと思う。世界中の妖怪愛好家に末永く幸せあれ。