馬と鹿、どっちにも似ていない姿で描かれている。
生き馬の目を抜く世知辛い世間。「ウマくやらないと馬脚を現し馬鹿を見るよ」と忠告しても相手は馬の耳に念仏。失敗したところで馬耳東風。馬鹿につける薬はなかったか、しかし馬鹿と鋏は使いようだからなあ。なんて思っていたらまさかの大出世。忘れていた、馬鹿と煙は高いところに登るんだったっけ…。
馬鹿の語源を辿ると、中国の「馬家」という一族であるという説がある。(馬のことを鹿と言ったなんて単純な話ではない)それが古代の日中の交流のうちに京の都に伝わり、そこから周囲に広がっていった。江戸時代には上方では「阿保」という、これまた中国由来の言葉がもてはやされ、馬鹿は「田舎言葉」となっていた。江戸も、都から見れば充分「田舎」であった。
江戸の末期には、儒学だけなく、蘭学も大いに学ばれていた。平賀源内がエレキテルを発明したのだって、もう60年は前の話。そんな幕末期にあって、未だに浅はかな知識を引けらかすような、そういう賢しらな風潮を揶揄した妖怪ではなかろうか。
ことわざの馬鹿と鋏は使いよう、馬の耳に念仏、馬耳東風、馬鹿に付ける薬はない、をそれぞれ絵の中に描きこんだ。
図:尾田郷澄作『百鬼夜行絵巻』より