古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

#028 野狐

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野狐

 狐と狸では、その化かし方が根本から違うように思う。自身の肉体を術によって変形させ、実際に別の物に変身し、相手を化かしにかかるのが狸。それに対して、自分が化けるというよりも相手に術をかけ、幻覚を見せて化かすのが狐。だからこの絵も「狐が化けている姿を描いたもの」ではなくて、この絵そのものが狐が見せている幻覚ということになる。月も薄もクマザサもすべては狐の幻術の中にしか存在しないものなのだ。この絵の裏側に、狐は狐のままで、居る。

 狸が化けた老人は、犬に襲われて死んだ後もしばらくは元の姿には戻らなかったという。変身の達人である。狐の場合は術が解けるのは一瞬である。解けた瞬間、夜中の火葬場だったと思ったのが実は真昼間の村のど真ん中だったりする。

 幻覚を見せるということは、相手の頭の中の情報を利用して現実を捏造するということ。「美女を見せる」場合も「自分にとっての美女」をそれぞれ化かされている相手が見ているのであって、狐自身が美人を生み出すわけではない。だから狐の中では一番階級が低い野狐であっても、相手の頭のなかにある絶世の美女を見せることができるわけである。

 裏を返せば化かされやすい人間もいるということだ。頭の中に様々な知識とイメージを持っている人間。例えば非常な物知りや、狐を捕まえ(てみんなから感謝される)る想像でいっぱいの軽率な武士が昔話ではよく狐の餌食にされているようだ。

 楽観的過ぎる想像力は今の世の中でも多くの人を化かしている。当たる気がして仕方がない宝くじ、勝つイメージしか見えない馬券など。お金が紙くずに変わる瞬間に狐の影を感じたりはしないだろうか?

図:佐脇嵩之『百怪図鑑』より