古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

138 #もろ首

幼少期は有る意味、妖怪天国だった。

妖怪と怪獣の区別もつかない自称「妖怪研究家」が、何の良心の呵責も感じず、自由な発想で次々に「子供が喜びそうな妖怪」を0から産み出しては発表していった。…まるで「怪獣」や「ポケモン」のように。

妖怪が、過去からのメッセージから「子供を楽しませる為に創造されるモノ」に変わった時期だった。妖怪の数が一気に増えた。

子供だった私は、その類いの書籍を読み漁り、全ての挿絵、全ての解説を、「確かな存在である」と了解した。…そして今、日々発掘されている「現代妖怪」の挿絵画家になり、歴史を繰り返すお手伝いをしている。

一方、かつては私と同じような少年期を過ごし、私より少し理性的であった為に、妖怪を研究し始めた方々の夜を徹する活動により、どの妖怪が伝承で、どの妖怪をいつ頃、誰が考え…などが明らかになりつつある。

その結果、実は何の伝承も持たず、キャラクターとしての魅力もなかった一部の妖怪たちは、当然と言えば当然に、消え始めている。

例えばこの「もろ首」である。私すら、何の本でみたかも覚えていないが、二冊ほどの図鑑に出ていた記憶がある。

そのうち一冊では、歌川国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」の中の、土蜘蛛が操る妖怪の一つをモチーフに描かれていた、と思う。

解説は「人を見たらどこまでも追いかけて来る妖怪」だった。追い付かれたらどうなるのか、二つ有る首は何をするのか、触れている資料は…無かったような。

久しぶりに思い出したので、絶滅危惧種を救うような気持ちで描いた。

せっかくだから、設定を足そう。

首が二股である。「二股を掛ける」とは本来浮気の事ではなく「どちらの陣営とも通じている」イソップ童話のコウモリのような行為を指した。

この妖怪はコウモリのように、どこにでも居場所がある。故に、どこに逃げてもこの妖怪の目を逃れる事は出来ない。

二つの頭と人格を持つため、完全な味方にも敵にも成ることはない。ただ、追いかけて来る。

逃げることを止めると、消える。