古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

142 #酒呑童子

平安時代に現れたと言う鬼の総大将。Wikipediaを要約すると、

江戸時代の御伽草子によると、酒呑童子は多くの鬼を従え、大江山を拠点にした。京都に出現しては貴族の姫を誘拐し、側に仕えさせ、或いはなますにして喰った。見咎めた帝は源頼光に討伐を命じた。武者たちは山伏に変装し、武器は笈に隠した。そして大江山を訪ね、酒呑童子の饗応を受ける、童子は「生まれは越後で、比叡山にいたが伝教大師に追われ、大江山に住んだ。しかしここでも弘法大師に追放された。やがて大師が亡くなったので戻ってきた」と語る。
頼光らは、振る舞われた姫の血酒や人肉をともに食べ(!)、鬼たちを安心させ、「神便鬼毒酒」を酒呑童子に飲ませ、寝首を掻いた。童子の首は頼光の兜に噛み付き、「鬼に横道(騙し討ち)はない」とののしり息絶えた。

他、近畿地方の各県に沢山の伝説や設定を持ち、紹介し始めるときりがない。平安以降も数多くの二次創作が作られた。

一説には、鉱山、製鉄業者労働者の反乱があり、その比喩だと言う。ゆえに朱丹童子とも言ったらしい。シュタイン・ドッジとして、外人だったという説まである。新潟を出身地とする話は多い。本来は人間であったところは共通する伝説が多い。

美少年だったがゆえに多くの女性から恨みを買い、鬼になったと言う、現代では非常に受けそうな話もある。酒に酔い、鬼の面を着けたまま眠ったところ、面が顔に張り付き鬼になったと言う、あまり受けなさそうな話もある。

普通、こういうボスキャラ級の魔物は、主人公たち(ヘラクレス安倍晴明平清盛稲生平太郎など)の武勇伝の一部になり、その名を高めることに貢献するために現れて消えていくのだが、この酒呑童子は、主人公たちよりも遥かに有名になってしまった。鬼だけに、主人公を喰ってしまったのである。まあ日本には昔から敵役に思い入れを強く持つ国なので、考えてみれば普通の話かもしれない。俵藤太を知っていますか、「あの大百足」を退治した人ですよ。…と言うような国である。

変装した頼光に毒を盛られ、首をはねられる際に、「鬼に横道無し」と言い残して絶命する話などは、もう主人公扱いである。

群像という程ではないけれど、こき使われる鬼と、拐われた美女達が入り乱れる絵にしたくて描いた。鉱山労働者、製鉄職人説があったので、鬼は金(童子に娯楽を提供する)銀(童子の尻を拭う役)銅(青銅。肘置きを努め媚びへつらう)にし、また鉄を思わせる黒いアイテムを多数描いた。

頭に牛の角、袴に虎の(ような)模様は、鬼の基本「丑寅」の図象化だ。秋なので着物の柄は朝顔にした。幕には雷紋を着けた。