古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

105 #女郎蜘蛛 (#絡新婦)

山の廃屋で、武士が児を抱いた女に遭う。女は武士を指差し、児に「あれはお前の父親じゃ、抱かれておいで」と言って這わせる。武士が睨むと児は退散し、今度は女が襲ってくる。女を袈裟懸けに斬りつけると「あ」と言って壁に這い上がり、姿を消した…。翌朝天井裏で「女郎蜘蛛」の死骸が見つかった、児と見えたのは五輪の塔で、もし児の方に斬りつけていたら刀は駄目になってしまい、妖怪の餌食になったであろう…。等々。基本的には「化け蜘蛛」の類いの話ばかりであり、この妖怪の「妖体」とでもいうべき「女郎」部分に絡んだ話はあまり聞かない。
妖怪女郎蜘蛛を図のような姿に描いたのは江戸の絵師、鳥山石燕。たぶん「絡新婦」の字を当てたのも彼だが、その姿は人の上半身に蜘蛛の手足、火を吐く小蜘蛛を操る姿が描かれている。
結婚したてで大した貯えもないのに沢山の子宝に恵まれ、家計は傾く。小蜘蛛の吐く炎は、情熱の炎か、はたまた火の車への前触れか。石燕の描く妖怪が後ろ姿であるのは、背徳、許されぬ情念の暗示か。今はもうそんな時代でもないらしいから、堂々と正面から描きました。
「女郎蜘蛛問題」もまた、古今の妖怪絵師達を悩ませてきた問題だ。簡単にいうと、女怪の部分は蜘蛛のどの部分が変化したものか、普通に考えて「頭」で合っているのか、という問題だ。
多くの回答が提示された。蜘蛛の背に女怪を生やしたキメラ型、首だけ女性のもの、女性の顔から足が生えているもの、女性の背中から脚が生えているもの、等々。
私の示す解は、女怪パーツは腹で、腹だから糸も出す。しかし獲物を食べるのは本当の頭部にある口を使う。腹に見えている部分が頭なのだ。二十年前からこのアイデアを温めていたが、その後、「少林サッカー」の監督、周星馳が、「西遊記」で同じアイデアの蜘蛛妖怪を登場させていた。千万の味方を得た思いだった。