こんな話がある。「どうも」という医者と「こうも」という医者がいた。二人は共に優秀な外科医だったが、どちらが一番の外科医かということで話が合わず腕比べをすることになった。まず「どうも」が「こうも」の首を切り落とし(!)、それをあっと言う間に繋ぎ直した。次に「こうも」が「どうも」の首を切り落とし繋ぎ直した。これではどうも埒が明かないということで、次は同時にお互いの首を切り落としたところ繋ぎ直す者がいなくなって「どうも、こうも、亡くなった」
謎の多い話である。自分のほうが腕が上だと思っているのに他人に安心して首を切り落とされる双方の気持ちがわからない。相手の腕前に絶対の信頼感を置いている。意見の相違は「あなたのほうが名医だ」「いいや、あなたが一番だ」という内容だったのか。なぜ同時に切り落とそうと思ったのかはもはや永遠の謎である。最初から「どうもこうもない」二人だったのだろうか。医術の腕比べを見るつもりが、その後遺体清掃の腕比べに参加することになってしまった見物人には同情する。
江戸時代「医者」というのは、基本的には内科医だった。漢方薬を処方するのが唯一の治療で「外科手術」の発想に乏しかった。古典では医者のことを「薬師」と呼ぶが、この言葉がすべてを表している。外科手術への理解もなく杉田玄白らが解剖の許可をとるのにどんなに苦労をしたか(解体新書の発表が1774年)、華岡青洲が全身麻酔を確立(1804年)するまでにどのような目にあったかなど、時代背景を物語るエピソードが残っている。
海外からやってきた蘭学、そして外科医療に対する不信感が妖怪の形をとって現れたという事か。現在なら「白い巨塔」的な妖怪だ。
新しい医学の到来と言う事で、漢方薬時代の遺物内観図」を貼って、破っておきました。
図:尾田郷澄作『百鬼夜行絵巻』より