存在が大きすぎて、説明し尽くすには一冊以上の本がいる、鬼と並ぶ日本の?妖怪の最古残。ルーツをたどると中国まで行ってしまうかもしれないが、詳しくはない。
鬼が人にまつわる怪異の総称で、天狗は自然界のそれ、と理解していた時もあったが、そう簡単に割り切れるものでも無い感じがしている。しかし日本に於いては、「人に牙を剥く自然界の諸々の総称」としておけば、大体当てはまる。
野山で出会う様々の怪異、天狗倒し、天狗礫、天狗笑い、その名が示すとおり、天狗の技とされる。
人を拐って日本中を連れ回すこともある。
ビジュアルは乱暴に分けると大きく二種類。服を着た猛禽人間と、鳥の羽を生やした鼻の高い(長い)僧、である。前者は烏天狗、木の葉天狗などと呼ばれている時もある。後者は、慢心ゆえに成仏に至らなかった僧侶の化生したもの、と言う話もある。
鳥山石燕は、服も着ていない巨大な猛禽の姿で描いているので、自然の具現化として、天狗を捉えていたのだろう。確かに、空を自由に飛ぶ、と言う特徴は、多くの天狗に当てはまるものだ。
考えてみれば面白いな、と思うことがある。
天狗になる、とは現代では、自分の力量のに慢心することを指す。
自然から生まれた、猛禽類の天狗は、人の知恵と手足を手に入れ慢心する。
一方人間は、鳥の翼を背に生やし、慢心する。
どちらも「自分じゃない方の持ち物」を手に入れ、完全に近づいた、と慢心する。
両者の姿は、とても良く似ている。
もともとヒトだって自然の一部なのだから、空を飛んで天狗になる、ヒトの力を手に入れて天狗になると言う、この慢心は心得違いである。
だから天狗は、どちらの姿であっても神ではなく、「慢心を体現する妖怪」と言うことになるのだろう。
科学文明も、似たようなものなんだろう。