古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

120 #滝夜叉姫

妖怪ではなく妖術使い。

ウィキペディアを要約すると、

 

江戸時代の読本(山東京伝)に登場する。福島県に墓碑があり『滝夜叉姫が将門の死後に再興を図ったが失敗し出家した』とある。

平安時代、父将門が討たれ、生き残った五月姫は丑の刻参りを繰り返すようになった。満願の日、荒御霊により、またはガマの精霊「肉芝仙」から妖力を授けられ、滝夜叉姫となった

滝夜叉姫は朝廷転覆の反乱を起こそうとするが、朝廷が先手をうち、滝夜叉姫成敗の勅命を下す。相馬の城に追い詰められた滝夜叉姫は数百の骸骨を呼び出し、激闘の末に敗れる。その場で死んだとも、尼寺で生涯をすごしたとも言われる

多くの人が見て見ぬふりをしているが、あの、巨大な骸骨(水木しげるが「がしゃどくろ」にしてしまったイメージ)ではないのである。そこを絵にしてみたかった。流石に数百の髑髏は掻かなかったたが。

あと、ガマの妖術も使うらしいので、描いた。

創作(又は魔改造)されたのは江戸時代だが、平安時代の人物だ。歌舞伎役者のような服を着せるわけにも行かない。丑の刻参りの衣装に、髑髏の紋様の上着を着せた。顔は能面を意識した。

有名な錦絵の滝夜叉姫は、恐らく呪文のための巻物を広げて持っている。描くことにしたが、中の文字をどうしたものか、悩んだ。骸骨を生む呪文など、調べようもない。

そもそも仙人から教わった妖術なんて、何語で書いてあるのかも知らない。こちらは民俗学はド素人である。だから、この絵に関しては勝手に話を作ることにした。はっきり言う。話を作ったのだ。

持っているのは菅原道真漢詩である。滝夜叉姫から見て約30年前に太宰府で不遇の死を迎え、約10年前に怨霊と化して宮中に雷を落とした人物。その彼が左遷されたのち、同じ様にして陸奥で死んだ友人を思い、その無念をしたためた漢詩である。滝夜叉姫が愛読するようになったとしても不思議はない。「骸骨」の文字も読み込まれている。だから、滝夜叉姫がお気に入りの漢詩に呪をかけて、実体にしたんなら面白かろう、と。

とんだ山東京伝であった。