古今妖怪図鑑

妖怪しか描かず、妖怪を哲学する、妖怪画家のブログ。妖怪しか描きませんし、妖怪の事しか書きません。

127 #鍋島猫、または#グリマルキン

 

猫はどこにでも入り込む。そして、最初からそこが、自分の居場所であったかのように振る舞う。物語の中にあってもだ。

江戸時代成立期。

佐賀の国では龍造寺家が衰えていた。元家臣の鍋島家、隣国の有馬家の方が幕府からの信任も厚く、龍造寺家は名目上の藩主でありながら、幕府からは既に無視されていた。状況に絶望した龍造寺の一族は、あるものは狂い死にし、又あるものは病死したと言う。その後、鍋島家に何かあると、「龍造寺の呪い」と言われるようになった。龍造寺から実権を奪った鍋島直茂は81歳まで長生きしたが、耳に出来た腫瘍で亡くなったお陰で、呪いだと言われた。

幕末期には、これを題材にした怪談も姿を表した。こんな話だ。

2代藩主鍋島光茂は龍造寺又七郎と囲碁で遊んでいたが、又七郎が名人であったため連敗、激昂し又七郎を切り殺してしまう。知らせを受けた又七郎の母は恨み節を飼猫に語り自刃 。猫は、流れる老婆の血をなめ尽くすと、鍋島家に侵入。光茂の愛妾をくい殺し、彼女に化けて夜ごとに光茂を苦しめた…。

いつのまにか、話の中に猫が居る。

猫はどこから遣ってきたのか。

そもそも日本には、血を吸う妖怪は殆ど居ないようだ。猫が血を吸って人に化けるなんて日本の怪談でも珍しい。ひきがえるか、鼈が血を吸う話はあったが、血を吸って魔力を持ち、人に化る話は…多分、ない。

以下は勝手な妄想です。

鍋島家・龍造寺家のお家騒動は、江戸の初期、鎖国の始まる前。長崎では南蛮貿易の全盛期。そしてヨーロッパは…魔女裁判の全盛期。

長崎を中心に、九州には東南アジア経由でヨーロッパの物や文化が次々と上陸していた。例えば「尾曲り猫」。インドネシアが原産と言われる猫で、宣教師が日本に持ち込んだ。今では長崎県の猫の八割が尾曲り猫であるらしい。

そんな猫の一匹が、たまたま魔女の買っていた猫、または魔女そのもので、キリシタン大名の有馬氏を嫌い、佐賀の龍造寺家の飼い猫となり、飼い主の無念を晴らしに行く…。

そんな鍋島猫も、有って良いかもしれない。

 

魔女の飼い猫、魔女の化けた猫を西洋では

「グリマルキン」と言う。

魔女は九回まで猫に化けることが出来、化けた回数だけ尾が増えて行くと言う。

 

最初の絵の、背後をチェスにしたのは、画面にヨーロッパの雰囲気を出したく、囲碁と並ぶボードゲームと言えばチェスだった、事と、チェスのルール、形が今と変わらなくなったのも15世紀だったのと、ビショップ、が実は宣教師と言う意味を持つことと…色々です。

 

二つ目の絵は構図を同じくし、西洋の魔女は猫に化ける度に尾を増やすと言うので尾の数を増やし、鍋島家の家紋、「鍋島杏葉」を頑張って描き、家紋に因んで杏の盆栽を加えました。